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市場で存在感を放つ企業グループに〔前編〕

【サイオスグループ役員インタビュー】 サイオステクノロジーが目指す企業体とは。キーポート・ソリューションズの代表取締役社長であり、2016年4月からサイオステクノロジーの取締役専務執行役員 兼ビジネス開発事業部長を務める森田昇に戦略の一端を尋ねるインタビューの前編です。

ピープル2016年6月21日

ヘルスケア領域の新たなソリューション

― 森田さんはサイオステクノロジーのビジネス開発事業をとりまとめると同時に、グループ会社であるキーポート・ソリューションズ(以下、KPS)の代表取締役社長を務めています。まずはKPSの企業概要や注力している点を教えてください。
KPSは、創業時より証券業界をはじめとする金融業界全般向けに、多重処理や拡張性に優れたオブジェクト技術をベースとしたシステム・アプリケーション開発領域で数多く実績を積み上げてきました。近年ではヘルスケア、不動産領域などの成長産業において、デザイン、開発、運用、保守まで一貫したICTサービスを提供しています。中でもコミュニケーション・デザイン領域に重点を置いた様々なサービス開発に挑戦しているところです。

成果の1つが、職員のモチベーションと組織の生産性向上を目的としたモチベーション・マネジメントシステム「Willysm(ウィリズム)」です。


組織全体の"気持ち"を可視化するWillysm

Willysmは、ポジティブな思考が身につくといわれる毎日3つの幸運・幸福な出来事「3グットシングス」を記録する機能、同僚に感謝の思いを伝えるメッセージ・プレゼント機能、個々人が自身の「気持ち」を3つの色を使い分けて日々記録することにより自分の心理状態を振り返り、セルフケアに必要な気づきを得る可視化・数値化の機能などが盛り込まれています。

2015年12月より施行された「平成26年6月25日に公布された労働安全衛生法の一部を改正する法律」に規定される、事業主による従業員のストレスチェックと面接指導の実施等に対応した機能もWillysmは提供します。
ハーバード大学のショーン・エイカー氏の論文に「仕事での成功について、IQによって予測できるのは25%だけで、残りの75%は、楽観の度合いや周りからのサポート、ストレスを脅威ではなく挑戦と受け取る能力による」「ポジティブな状態の脳はネガティブな状態の脳より31%生産性が高くなる」という研究成果が指摘されています。
Willysmでは個人の心理状態を可視化することで、個人も会社もポジティブな状態を創出します。結果として、モチベーションが高く優れた生産性を発揮する組織づくりや、企業価値の向上につながる健康経営*を支援します。CHO(Chief Health Officer :健康管理最高責任者)構想を進める社会福祉法人 三浦市社会福祉協議会にも採用いただくなど、様々な企業、団体から関心を集めているところです。

*「健康経営(R)」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。

エンジニアから経営者へ

― 森田さんはKPSだけでなく、これまで様々な事業の立ち上げや企業経営に携わってきたと伺いました。これまでの歩みを教えてください。
理工学系の大学を卒業後、人工臓器等の開発に携わりたいと積水化学工業株式会社に就職しました。ただ配属先はホームオートメーションを研究・開発する部門で、そこで研究開発のみならず、商品企画やメーカーとの共同開発にも携わることとなりました。その後、商品開発したプロダクトとともに、社内の住宅部門に異動し、そこで新たに住宅設備の設計・開発に関わることになります。この間約5年、もともと化学屋で食べていくつもりで入った会社にも関わらず、エレクトロニクス、建築の世界を思いがけず体験しました。この時点で、私の中では未知の世界に対する恐怖感はほとんどなくなったように思います。

そんな風に揉まれたせいか、結果として私はより広い世界を知りたくなり、株式会社三菱総合研究所に転職しました。三菱総合研究所では約10年近く、不動産開発やリゾートや商業複合施設開発、電源開発、国際物流、医療・介護関連の事業計画、事業開発などに携わりました。三菱グループが中心となって介護保険導入を機に設立した介護用品レンタルの会社では情報システムの部門の立ち上げや介護用品の物流プロセス開発等、またしても未体験の領域を担当しました。
この頃、縁あって当時世界でBig4といわれていたコンサルティング会社のアーンスト・アンド・ヤング・コンサルティングから声をかけられました。同社が後発ながら折しも日本市場への進出を図っている段階ということでした。「外資系企業で働くのも、長い人生の中で糧になるだろう」と考えて私は転職しました。そこで、ビジネスプロセス改革や業績管理関連のプロジェクト開発・管理、不動産ビジネス関連のデューデリジェンス、新規事業立ち上げ支援関連の事業開発などに携わりました。2000年前後のことです。

― この頃から本格的に企業経営に関わるようになるのですね。
経営者としての最初に就いたのは、株式会社アクシャルネットワークスというIT企業でした。2代目の代表取締役社長として着任したのが、2001年3月のことです。この会社はその後、フィオシス、ケイゾンという企業3社統合を経て、2004年12月に「キーポート・ソリューションズ」と社名変更して現在に至ります。
その後は、M&Aを経営戦略の一つとして十数の案件を実施し、企業価値の向上に獅子奮闘してきました。

― 色々な業種に携わる中で、必然的に様々な事業を見る目が養われたのではないでしょうか。
新しい業種への抵抗感はなくなりました。ただ、調子が良い時もあれば、悪い時もありました。2008年頃、KPSは証券取引所への上場が視野に入りつつありましたが、その矢先に起きたのが、リーマン・ショックでした。証券業界と深い取引のあったKPSは、その影響を免れることはできず、業績が急落し倒産の危機まで経験しました。

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