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DataKeeperの「育ての親」、これからも世の中に貢献するソフトウェアを創り続ける #1

米国事業会社 SIOS Technology Corp.で、DataKeeperなどのソフトウェア開発で中心的役割を果たし、現在はアーキテクトを務めるアーニー・コスクレイ(Ernie Coskrey)さん。これまでの歩みやSTCで働くきっかけについて伺いました。

カルチャー2024年8月20日

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STCとの出会いとキャリア

―― アーニーさんのお仕事や家族について教えてください。
アーニー:私は現在、SIOS Technology Corp.(以下、STC)でソフトウェア開発のアーキテクトを務めています。これまでHAクラスターソフトウェア製品であるLifeKeeperやDataKeeperなどの開発に携わってきました。家族は妻と3人の子どもたちです。子どもたちは、今はそれぞれ自分の道を歩み、現在は妻とサウスカロライナ州に住んでいます。

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米国事業会社 SIOS Technology Corp. ArchitectのErnie Coskreyさん

―― アーニーさんの歩みについてお聞かせください。
アーニー:私が育ったのはノースカロライナ州シャーロットの郊外です。父と母、そして私と2人の妹の5人暮らしでした。子ども時代は外を駆け回ったり自転車に乗ったりすることが好きでした。米国アタリ(Atari)社の家庭用ゲーム機で遊んだ記憶もあります。進学したサウスカロライナ州のクレムソン大学では、コンピューター・エンジニアリングを専攻しました。理科や数学が得意だったこともありますが、コンピューターに興味を持ったきっかけはコンピューター・システムのアナリストだった父の影響もあるかもしれません。

1988年に学位を取得し、NCR Corporation(以下、NCR)へ入社しました。品質保証や開発などさまざまな仕事を担当しましたが、そこでシステム障害時にアプリケーションを保護する製品やミラーリング製品の開発に関わりました。STCで現在ともにソリューションを開発しているカシウス・ルー(Cassius Rhue)も、当時NCRでインターンシップとして働いていました。

NCRで働き始めてまもなく、私は同じ街に住んでいた妻と出会い、結婚しました。子どもを授かりましたが、3つ子だったので仕事と育児の両立はとても大変でした。妻も教員として働いていたのでチームワークが不可欠です。3人のおむつをいっぺんに交換することがしばしばありましたので、おむつ替えはかなりうまくなりましたよ。

子どもたちがまだ2歳ほどだった1999年頃、私が所属していた、NCRのシステム障害対策の製品開発部門が買収されるという話が聞こえてきました。私は妻と相談し、お互いの仕事や子どもたちの育児などを考え、NCRを辞めて別のソフトウェア開発企業に移ることにしました。

―― STCで仕事をするようになったきっかけを教えてください。
別のソフトウェア開発企業に移り3年ほどが経った頃、かつてNCRで働いていた時の同僚から連絡がありました。彼女はNCRの当該部門を買収したSteelEye Technology, Inc.(以下、SteelEye)に移籍しており、「LifeKeeperやミラーリング製品の開発を助けてくれるエンジニアが必要だ。一緒に働く気はないか」と、声をかけてくれました。

私は家族と相談し、SteelEyeに移ることにしました。NCR時代に一緒に働いていたメンバーの多くとそこで再会を果たしました。2006年にSteelEyeはサイオスグループの傘下に加わりました。私もSTCの一員として、さらなるLifeKeeperの進化やDataKeeperの製品開発を担っています。(#2に続く


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